子どもの将来については、ほとんどの親が心配。
できれば幸せになってほしい。
そのための選択肢を多くするためには、勉強がある程度できた方が良いはず。
良い学校へ行けば、将来の職業選択肢は広がる可能性が高まり、高い学歴、年収も思いのまま?
その準備は幼稚園、保育園、はたまた乳幼児から必要なの?
大学進学は先の話。学歴や年収を今考えたってしょうがないじゃん。
でも、不良から単なる高卒、Fラン大学進学では稼げない可能性が高いのはみんな知っているはず。
少なくとも「行く価値のある大学」への進学を目指し、それが実現しやすい、具体的な方策を知りましょう。
まずは乳幼児から幼稚園や保育園を網羅する「幼児教育」の必要性について本当に大事なことを書いておきます。
私見としての結論「幼児教育は必要ない」
この「必要ない」という考え方ですが、放任主義でOKという意味ではなく、「なんとか教室」へ行って習い事をする必要はないという意味。
そんな暇があったら、外へ連れ出したり、絵本を読み聞かしたりして沢山のものと触れ合う時間を作った方が感受性を高められると思う。
そして、常に「ユダヤ式学習」を意識し、子どもが見聞きしたことに真剣に耳を傾け、沢山頷いてあげて下さい。
子どもがインプットした出来事を、アウトプット作業としてお話してくれることを、丁寧に聞いてあげることで、次はもっとお母さん(お父さん)に教えてあげたいと思わせるのです。
インプットしたことを正確にアウトプットすることは、変な大人にはできません。
それができるということは、本格的に勉強を始めたら、勉強したことをきんと理解できる術を既に身に着けているのだから、テストの回答程度のアウトプットは容易になっているはず。
また、多くの経験をさせたことで、物事に「興味」持つという習慣も養われている。
人間は、「興味」が無いものは頭に入りずらいです。
好奇心があるということは、興味の回路がたくさんあるという証拠で、たとえ苦しい勉強でも「興味」で乗り切ることが可能になるかもしれない。
愛情をもって、ちょっとだけ知識をもって、子どもに接するだけで良いのです。
では、なぜ幼児教育を推奨する人たちもいるのか?

それは大事な我が子、親ならば子どもの幸せを願い、幼児期から何かしらの教育を行いたいというのが心情。
また、マスコミがあまりにも特異な事例を紹介し過ぎであること。
特異な幼稚園を卒園した子どもは、将来凄い大学へ行ったり、凄い成長をしたりと「誰しも」そうなるみたいな報道が多い。
テレビに出演する東大生の幼少期はこうであったとか、こんな教育を受けたとか、それらの事例に合致するかの教育塾がもてはやされたりと、親の弱みにつけこむ商売になって行ったと書くと言いすぎ?
確かに、親の行動範囲は限られるし、それとは別に大金を払うことで違う経験をさせることを否定はしません。
まあ、お金に余裕があれば何でも試せばいい。
でも、一番重要なのは「子供のために親がどれだけ時間を避けるか」なんです。
きっと幼児教育の教室へ通わせることよりも大変だと思います。
具体的にいつ、何をすればいいのか?

物心がつく?っていくつからかよくわかりませんが、物心がつけば、色々なものに向けられた興味や体験を言葉に出すことは可能になっている?
あんまり深く考えず、こんな感じでいいのではないか。
0~2歳
親は喧嘩をしない、他人とも揉めない、穏やかな家庭環境を維持して健やかに育てる。
沢山話しかけて、沢山笑わせてあげる。
3~6歳
お話してくれることを真剣に聞いてあげる。たくさん頷いてあげる。
できるだけ多くのものを見聞させる。
本を読んであげる、読んでもらう。
幼稚園で教わったことを毎日報告してくれるように「仕向ける」。
5~6歳
合わせて、小学校の準備を始める。
足し算や引き算という簡単で基礎的なものを勉強。
親が教えてもいいし、公文や進研ゼミなどの教材を使ってもいい。
小学校に入ってあわてないようにしてあげるだけ。
親も勉強しよう
勉強って、数学とか英語じゃない。
子どものための勉強。
ユダヤ式学習、小学校の準備方法(テキストの選び方、塾の活用)。
子どもと接する時間を確保するための方法。
わたしのうちで行ったこと

ユダヤ式学習を知ったのは随分あとでした。
小学校の準備に必要なことから、そこから「うち」では始めた。
その前は、普通に家族旅行へ行ったり、犬を飼ったり程度。
小学校の準備は、妻の提案で「公文式」を算数中心にやらせました。
下の子どもは褒められると調子にのるので、どんどん進み、小学校低学年のある時、中学2年か3年かの問題で分からなくなり挫折した。
幼児教育はこの程度しか意識していませんでした。
それよりもスポーツに重点を置き、下の息子はサッカーを小学校1年生の頃から高校まで続けた。
今も公文式はあるが、もっと良い教材もありそう
せっかくなので、小学校準備に合いそうな教材も今後調べてみようと思う。
公文式は多くの人が知っていると思いますが、A4の半分(B4の半分?)の紙裏表に問題が書いてあります。
これを本人のペースでどんどん解いていくのです。
公文式の教室へ行って解いてもいいし、問題を持ち帰り自宅で行っても良いのです。
問題は段階的に難易度が上がり、小学校低学年でも出来る子は中学生程度の問題を解いていた。
難しくなると問題があって、公文の先生は教材を添削できても、問題を解説する能力が無い人もいたりします。そういう意味ではプロの塾講師とは違います。
この辺の弱点を考慮しつつ、秀逸教材が無いか、今後探してみましょう。
でもね、勉強能力を磨くよりも先ずは常識を教えるべき

それは「しつけ」です。
アホ親のニュースが毎日のように報道されていますが、子どもを虐待した言い訳の全てが「しつけ」。
そういう言い訳の「しつけ」ではなく、世間へ出てもきちんと常識が備わっているようにすること。
そんな常識が備わっていないやつが親になると、「しつけ」と称して虐待をする。
自分自身が足組んでご飯を食べたり、ひざ立ててご飯を食べたり、両肘ついてご飯を食べたりしてるんだよね。
自分がしつけされていないのに、何が「しつけ」か分からないはず。
こういう事件を起こす輩は、泣くことが仕事の子どもに「うるさい」と言ってキレては「しつけ」。
自分はくちゃくちゃご飯を食べているにも関わらず、小さな子どもが当たり前のようにご飯をこぼしたらキレて「しつけ」。
何がなんだか分からない「しつけ」だが、分かる人から見ればただのDV。
報道を見ていれば、ほとんど(ほぼ100%)が、「妻の連れ子の〇〇ちゃんに暴力」と結ばれる。
妻とこういう報道を見て、いつも話すのが
「おなかを痛めて生んだ自分の子どもでも、子育ては手こずる」
「それが自分の子どもではなかったら…」
世の中、自分とは血が繋がらない子どもでも、自分の子ども以上に愛情を注ぎ立派な大人に育てている方もいます。凄いことだと思う。
わたしには真似が出来きない。
レディファーストと言いながら、DV、離婚大国のアメリカ。
里親になる人も多いそうだが、合わなければ里親紹介所に返すシステムが存在する。
これはもう、詭弁なのかペット扱いか訳が分からない。
はっきり言えることは、自分の子どもであっても育てるには多くの葛藤があるということ。
反抗期の子どもなんて、本当に「憎んで」しまいそうなシチュエーションが多々発生する。
血が繋がらない子どもに無償の愛情を注げる人間は、本当に素晴らしい存在だと思う。
そういう人には、神様の悪戯か、子宝に恵まれない人が多い。
神様は乗り越えられない試練を人間に与えることはないと言う。
子宝に恵まれたら、普通は神に感謝するほどの喜びだろう。
「試練」なんぞと思うことのない子育てを行いたいものだ。
どうしても幼児教育を行いたい人は

話が若干脱線したが、子どもを授かった以上、子どもの将来を気にして幸せになってほしいと思うのはどこの親も一緒だと思う(一緒であってほしい)。
生活に余裕があるけど、時間に余裕がなければ、幼児教育の教材を使用したり塾へ通わせても良いと思う。
時間に余裕があって、生活に余裕がない親であれば、本を一緒に読んだり、市販のドリルを解くだけでも良いと思う。
ただ、共通的に行ってほしいのは、「子どもとの会話」。
出来れば、子どもが学んだことを「毎日教えてもらえる」聞く時間だけでも確保してほしい。
子どもは学んだこと、経験したことを誰かに話したい。
話すことは「復習」である。
毎日毎日これを繰り返せば、より正確にインプットしたことをアウトプットできるようになる。
これは今後の勉強力に大きな糧となるはずである。