昔はニュースにならなかった|でも最近ニュースになるって思わない?

education37 子供の教育

最近、教師の不祥事が目につく。セクハラ、パワハラ、はたまたプライベートでも問題を起こす。何で最近そんなことが多いのだろう?

 

わたしは既に50歳を超えているが、昔の教師は平気で平手打ちをしていた。わたしも何発もらったか分からない。しかし、それには自分が行った悪さに対する痛みであるという理由が明確にあった。もちろん、教師も人間だから間違いがある。身に覚えのないことでビンタをお見舞いされた経験もあったが、その時はきちんと間違いを認め謝ってくれた

 

また、現在ならこれも体罰になるかもしれないが、悪さをすると頭を五厘にカットされたことも懐かしい。Tシャツを脱ぐ時、髪の毛に引っかかって脱げないなのだ。それくらい短くバリカンを入れられた。

 

セクハラもどきの問題のほとんどは、女子が勝手に教師の目を疑って、自分を見られているだの、いやらしい目で見るだの、事実上の問題はほとんど皆無なのに勝手に騒いでいた程度だった。

 

時代が進むことでテクノロジーも進む、更に人間の意識も変わるのだろうか?自分に降りかかった問題がとても大きくなっているように思えるのはわたしだけだろうか?

 

昔は滅多に出なかったニュースが多いと思わないか?

例えば「いじめ」。

昔のいじめは今よりももっと酷く悲惨だった。元々子供は残酷だから、自分が悪さしていることも、相手の痛みも感じられない。だから、殴るけるなんて日常茶飯事で、徹底的に嫌いな相手を肉体的にも精神的にも追い込む

 

それに比べ、今のいじめは陰湿で、肉体的な苦痛よりも精神的な苦痛が多いのかもしれない。それでも、教養の無い子供たちは、昔同様に肉体的な苦痛を与え、最終的に死ぬまでいじめを繰り返すところは現在の方が酷いかもしれない

人の痛みを知らない人間が実はとても恐ろしい

その原因は、殴られたこともないやつが、痛みを知らないまま相手を痛めつける、いわゆる「加減を知らない」ことが原因か?中世の拷問器具を考えた人たちは、自分が恐ろしいと思うことを単に具現化したのだと言う。今の子供は正にそんな傾向かもしれない。

 

昔のいじめには必ず守ってくれる味方がいた。学級委員の女の子、仲の良い友達、運動部の友達。しかし今は全てが敵に回ってしまうため、いじめられた方は逃げ場なく命を絶つことも珍しくない。

 

そんな悲惨な出来事について、世間は再認識し、メディアの発達に伴い細かいことまでニュース化されたことで世間に「いじめ」の事実が浸透した。

 

いじめとは全く違うが、ゴミ屋敷問題

自分の家を汚していることについて何故ニュースになるのか?

 

昔は結構汚い家が多かった。軒先に好き勝手家の物を置いて、狭い家や土地のデメリットを公道で解決していたのだ。もちろん、近所トラブルはあったのだろうが、お互い助け合い、各々譲り合って公的な土地を無断使用していた。今考えればモラルも何もない。

 

そんな時代を生きてきた子供が大人になって家を持ち出すと、突然陣地意識が芽生え、敷地境界を犯すものを許さないという真逆の現象が生じ始めたのだ。更に、時代と共に家というものが進歩し、日本独自の快適さを追い求めた「美しい生活」の紹介が始まった。

 

自分の敷地や家は美しく保ちたい。自分の土地の価値を下げる要因は阻害したい。そんな思いから近隣の「異常」を除去したいのだ。また、昔のような車も通らないような路地は少なくなった一方で、車を優先させた道路が発展した。その結果、今まで表面に出なかったようなゴミ屋敷が目に付くようになった。

 

もしかしたら片付けられない病気なのかもしれないが、他人から見れば「自分勝手な行動」にしか見えないことにニュース性があるのだ。

 

ニュースが多発しても繰り返されるという異常性

沢山報道され、誰もが周知している行為であっても、自分がニュースになると考えられないのか?不思議と繰り返される悪行がある。

「あおり運転」による交通事故

あおり運転による問題が大きくクローズアップされている。厳しい判決も出ている。そんなニュースが毎日のように報道されているのも係わらず、未だに「あおり運転を行う人間かいる」のは何故?

 

そもそも、既に事件化した問題の多くは、車載カメラによって犯行の状況が残されており、テレビで連日報道されている内容を見ると、犯行を行う人間には共通性が見いだせる。

 

  • 短気である
  • 自分勝手である
  • 攻撃性が強い
  • 風貌が汚いもしくは威嚇的

 

この人たちも同じように「自分勝手な行動」しか頭にない。即ち、他人の痛みや行ったことが将来どう影響するか?という近未来の将来ビジョンを司る思考が欠落しているのだ。極端なことを書けば、この人たちは「人を殺す時はその場の気持ち次第」で、人を殺すことで自分は今後どうなる?家族や親族はどうなる?相手の家族や親族はどうなる?という思考が欠落している。性犯罪者と何ら変わりがない。

 

市長など政治家のセクハラ

公人にまで上り詰めてまでなぜ?というのが一般的な見方でしょう。

 

政治家だって性欲はあるのです。いや、こういう人達は一般人よりも更に強い性欲があるのかもしれない。本当に社会をどうにかしたいと思って立つ人もいるでしょうが、勇気をもって出馬するのだから、基本的には「目立ちたがり屋」。要は自意識が高いのだ。

 

自意識が高い分、権力を手にすれば勘違いも起こしやすい。ごく稀、あの亡くなった政治家は「清廉潔白で私財を投げうってまで市民に尽くした」という人が現れる。ごく稀にである。多くはそんな人物ではなく、我々同様、俗物の延長である。

 

結局は一般人と大差ないのだから、すけべ意識は存在するのだ。可哀そうなのは、下手に権力を持ったことで勘違いし、誰でも自分に従うと思い込んでしまう人もいる。

 

セクハラはモラルを持てば行動までに至らないのです。そうならなかった政治家については、やはり勘違いを含め、モラルを無視した「自分勝手な行動」を起こすのである。

 

過労死、ブラック企業

ブラック企業という言葉はいつから使われ始めたのか?高度経済成長期の労働環境と比較すれば、現代の業務負荷は少ないと思う。しかし、世界の先進国と比較した場合、日本の労働環境は良いとは言えず、最近になって働き方も変わり始めた。

 

ブラック企業がニュース化されるパターンは、自殺者が出た場合が多い。しかし、日本のニュースで自殺者を報道することは皆無で、過去に同様の事象が発生しても報道はされなかっただろう。では何故報道されたりしなかったりするのか?

 

泣き寝入りが少なくなったためである。内部告発が頻繁に行われるようになり、更に告発者やその親族がメディアに対し多くを語るようになった。また、告発の内容を精査すると、スポット的に問題が発生しているのではなく、会社全体の闇にたどり着くことが多い。そうなれば、メディアはこぞって報道を開始し始めるのだ。ワイドショーの話題を作らなくてはならないという命題も絡んで

マスコミというのは「自分勝手な行動」を取るのだ

 

痴漢

昔は痴漢がニュースになることなんてなかった。

 

今は頻繁に痴漢事件を目にする。その要因は「痴漢」という犯罪よりも、その後の行動がニュースになっている。痴漢を行って逃げる途中で車に轢かれ死亡。線路内に入って逃走など。

 

痴漢は「自分勝手な行動」で最も身近なものかもしれない。痴漢という「自分勝手な行動」を起こし、そして、逃げるために更に「自分勝手な行動」を重ねることは大きな問題だ。

 

自分勝手な行動を許さない風潮が招いたニュースの変貌

犯罪の多くを一括りに言えば「自分勝手な行動」で終始するかもしれない。しかし、人間である以上、社会規範に沿った我慢が必要で、昨今のニュースはこの「自分勝手な行動」によって起きた事件の幅を単に広げたに過ぎないというのが結論だ。