低学歴な親|学歴の意味を知るから子供の教育に一生懸命取組む

education13 子供の私的教育論

皆さんは真面目な親ですか?子どもの教育に一生懸命な親。自分が子どものときは不真面目。あなたは子どもの時「真面目な子ども」だったのでしょうか?

 

自分の苦労は子どもにはさせたくないものです。
子どもには、自分よりも良い生活ができるようになって欲しい。

学歴は無いが、就職には成功し金銭的には余裕がある。勉強が中途半端であったことを後悔し、子どもにそれを託す気持ち。

 

中途半端だった親は、子どもの教育に一生懸命投資する。

 

わたしは子どもに自慢できる「子ども時代」を過ごしていません

わたしの子ども時代は、良い意味で自由。悪い意味ではみんなで窓ガラスを壊してしまうような荒れていた時代でした。

 

だからなんだ?

 

そんな時代でも、当然「東大」へ行くやつもいます。

実は単なる言い訳なんですよね。

 

今と比べて「荒れて」いたことなんて、単に「物理的」な問題が具現化しただけで、現代のような「マインド」面の問題に注目することなんてありませんでした。

 

しかし、わたしの言う「高卒の成功者(就職面)」の方々も、ボンタンや短ラン、長ランを着て高校時代を過ごしたと思います。

 

今も昔も同じですが、工業高校や商業高校はそんな人間の集まりです。

そんな人間の中で、優秀な人は人生の成功者になる。優秀じゃない人間はそれなりになるのは、今も昔も変わりありません。

 

でもね、周りを見て下さい。

そんな環境に育っても、まともな就職が出来た人。

まともな就職が出来なくても、自宅の自営を引き継いで、自分が経営者になった人。

 

これらは間違いなく「社会に適合」しています。

 

真面目に育った人もいます。

それはそれでOKなんです。

 

しかし、ほとんどの人は一度は「グレて(死語?(笑))」いるんですよ。

 

時代の流れもあるし、意図せずレベルの低い高校へ行った人も同じです。

子どもに自慢できる子ども時代を過ごした人は問題ありませんが、ほとんどの人は「すねに傷」ある青春時代を過ごしていたと言って過言ではありません(笑)。

 

わたし自身も少なからずそうだった。

 

ふざけた青春時代を過ごした奴らのいく末

これは二つにわかれます。

 

単純ですが、「ふざけたままで終わるやつ」と「きちんとその先を進むやつ」。

ふざけたままで終わるやつは、ふざけた会社へ入るか、ふざけたまま無職です。

でも、10年後に会うと「ふざける」ことを止めているのがほとんどです。

 

止めることが出来なかったやつは、ほとんどが「死んで」ます

 

きちんと先を考え始めていたやつは、それなりの生活をし、それなりに幸せに過ごしています。

 

それなりの幸せの向こう側

サラリーマンであれば、入社した会社にもよりますが、ここも二つに別れます。

面白いのは、高卒の優秀者と大卒入社の人間、双方ともに子育てに興味を持つか、否か、相違点が一致するのです、

 

普通の話をすれば、就職成功者は「年収が高い」ので、子供の教育費が高いのです。

 

  • 自分より良い生活(就職)をしてほしい
  • 自分の学歴が無いので大学へ行ってほしい
  • 自分と同じ教育水準でいてほしい

 

こんな理由が「普通」です。

 

一方、せっかくの生活レベルでも子育てに興味のない人がいます。

 

  • 自分ができたから、放っておいてもできる
  • 自分の学歴がないので、子どもにお金をかけても同じ
  • 勉強をするかしないかは本人次第(放任)

 

悲喜こもごもですが、どれもこれも事実だと思います、

それなりの幸せに至ったならば、「子ども」の教育へ投資してほしいものです。

 

中途半端なやつら

中途半端なやつで、高卒就職に成功した人間は子どもの教育に一生懸命です。

 

前述で子どもの教育に興味がない人間もいると論じてしますが、恐らくそれは数パーセントのバカ親です。

 

自分が高卒になった理由を考えれば、それ以上の成功を望むのが当然だと想定することは容易。

まともな会社へ就職できていれば、周囲の環境も合わせなおさら。

 

そこで着目できるのが、高卒就職成功組である「中途半端なやつら」です。

 

ほとんどの中途半端な奴らは気にしないが、一部の中途半端な奴らは入社した大企業の「大学卒」にライバル心を燃やします。

燃やさない就職成功者は、間違いなく「出世」はしていないでしょう。

 

大学卒にライバル心を燃やす奴らは、常に彼ら以上の結果を出そうと奔走し、日々勉強に勤しんでいます。そして、自分のような苦労をしないよう、子どもへの教育に一生懸命となります。

 

この時点で彼らは「高卒就職成功者」だとは思っていません。

でも、同級生と会って話をすると、「ある時、自分の収入が多い」ことに気づくはず。

 

反骨精神と事実を知った彼らは、その先も子どもへの投資を止めません。

しかし、ある時、子どもが勉強より遊びへ傾倒し、さすが「自分の子どもだ」と気づくのです(笑)

 

葛藤は続くが、子どもの幸せを考える余裕はある

自分が中途半端だと思えるやつは、大学へ行きたかったやつです。

大学へ行きたかったが、金が無かったとか、親がいなかったとか言い訳をします。

奨学金もあるし、本当に行きたかったなら「行けた」でしょ?になる。

 

でも、行けなかったことは事実です。

大学へ行けなかったんだから、少なくとも就職ぐらいは成功したと思ったやつらの一部が、高卒の就職成功組。

 

「行く価値のある大学」へ進学する学力はなかったのです。

 

このコンプレックスは「子ども教育」へ向かい、きんととお金をかけます。

 

それで良いのです。

 

一方、

 

お金がある家庭は、子どもに興味があろうが無かろうが、当たり前のルートが確立されているので、そのルート通りに「お金」をかけます。

そんな家に生まれた人はどれくらいいますか?

 

意外と多いし少ないのです。

なぞなぞみたいですな。

 

ここ大事で、高卒でも就職成功者は「付き合う人間」「住む場所」が違ってきます。

そんな環境にいると、ますます自分のダメさ加減が身に沁みます。

でも、収入に応じた環境とはそういうもの。

 

分かり難いですが、何故かコロニーは出来上がります。

周りを見て学ぶことが意外と多く、その流れで子ども教育が充実することも少なくない。

 

下剋上と言えば大げさですが、高卒就職成功者の多くは中途半端な自分と常に葛藤しています。

そして、子どもの教育を充実させ、「自分が同じ環境であった場合」の実験を行っている可能性があると言っても過言がないでしょう(過言かな?)。