天津司舞(てんづしまい)は、山梨県甲府市で毎年4月に行われる神事で、『国の重要無形民俗文化財』に指定されています。
しかし、せっかくの重要無形文化財であるにも係わらず、地元での周知は薄いようで、見物客はあまり多いとは言えない状況。
諏訪大社の4社巡りを通じて、諏訪神社という神社とその御祭神と少なからず係わりのあるこの神事に興味を持ち、桜が満開となった今年、実際にこの目で見ようとやって来ました。
天津司舞(てんづしのまい)とは?
小瀬町にある天津司神社に古くから伝わる日本最古の人形芝居とも言われる伝統芸能で、国の重要無形民俗文化財に指定されています。
舞の起源は明らかではありませんが、「昔、小瀬の里が開けないころ、12神が天から下り舞楽を奏したが、その後2神は天に帰り、1神は西油川の鏡池に飛 び入ってなくなった。しかし残る9神が舞楽を奏し続け、小瀬の里が開かれたので、役人がこの神を模して神像をつくり、舞楽の始まりとなった」という伝説が あります。
毎年4月10日前の日曜日に、小瀬町の天津司神社から隣町の下鍛冶屋町の諏訪(鈴宮)神社まで、ご神体である9体の人形がおみゆきし、舞が行われます。
日時:4月10日前の日曜日 正午ごろから
場所:天津司神社(小瀬町)~諏訪(鈴宮)神社(下鍛冶屋町)
このように起源は「よく分からん」ということです。
但し、この天津司舞という「傀儡田楽(くぐつでんがく)」、登場人物から考えると長野の「諏訪大社」と大きな繋がりがあることが考えれそう。
そこがこのお祭りを見る上で重要且つ楽しみなところなんですね。
天津司舞の傀儡人形は天津司神社から
天津司神社の外観は、お世辞にも立派とは言えませんが、その社殿内に国の重要無形文化財である天津司舞に使用される人形があります。
写真はお祭りに備え待機している様ですが、普段は解体(「おくずし」と言う)され「神庫」で重要に保管されています。
「天津司舞」神事の流れ
- 11時50分神官お迎え
- 12時00分神事開始
- 12時30分神事終了
- 12時30分御幸(おみゆき)
- 12時50分鈴宮諏訪神社着
- 13時00分お舞奉納
- 13時50分お舞終了
- 14時00分還御
1.神官お迎え
ほぼ定刻通りに宮司が来られました。
天津司神社鳥居前にかけられた小さな橋を渡り、神域へ進んで行きます。
2.神事
境内にある満開の桜の下、保存会の面々と氏子の方々が厳粛に神事を執り行います。
3.御幸(おみゆき)
諏訪神社の変遷に伴い始まった「御幸(おみゆき)」です。
小瀬スポーツ公園という巨大な施設が出来たため、公園内を安全に移動します。天気の良い日曜日の休日であるため、公園内には若者や家族連れが多く皆さん物珍しそう。
『国の重要無形民俗文化財』に指定されていることなど、地元の多くの方は知りません。
御幸に随行していると、保存会の方が「昔は人垣が出来るほどだったのに…」と嘆いていました。
行政は何をしているのでしょうか?
一体づつ、神庫から傀儡人形が出てきます。
天高く、踊るような仕草で出庫させる方がほとんどですが、人形を傾けたまま、物を運ぶように持ち出す方も居たのが少し残念でした。
「見る方」も「やる方」もこんな感じでは、何れこの行事も無くなるのかも知れません。
お囃子と共に、長い行列が続きます。
行列の歩幅はまったく合っておらず、間隔がまちまちになっていたのが気になります。
人形の顔には「赤い布」が巻かれ、行中の景色が見えないようにされています。
元々あった諏訪神社が変遷されたため、元の場所から移動したことを気づかせないためだと云われています。
なかなか奇異で素敵な光景ですね。
4.鈴宮諏訪神社着
鈴宮諏訪神社へ到着すると、本殿の前に整列し拝殿と簡単な神事を行います。
御船囲い(おふねがこい)の内部。
5.お舞(天津司舞)奉納
メインイベントのお舞(天津司舞)奉納。
各人形が静かな動作の「お舞」、激しいテンポの「お狂い」、そして再び「お舞」という、テンポが異なる舞を3周づつ、合計9周行います。
一の御編木様
二の御編木様
一の御太鼓様
二の御太鼓様
御鼓様
御笛様
鹿島様
鹿島様だけ一体で舞います。
「お狂い」舞の最中には、縁起物と言われる木製の小刀を9つ(人形の数と同じ)幕の中から外へ投げられる。
この小刀をこぞって取る拾う所作は、古い文献でも同じ。
御姫様
鬼様
6.還御
舞が終わると、直ぐに赤い布を顔に巻き、再び本殿の前に整列します。
そして御一行は「御幸(おみゆき)」と同じ道を辿って、天津司神社へと還御します。
隊列はやはりグダグダでした…(笑)。
午後からは風が強くなり、人形を持つ手も大変だったでしょう。
保存会の方々はお仕事もあり大変でしょうが、頑張って欲しいと感じました。
また、行政も協力を惜しまないように祈るばかりです。
天津司舞の主役は諏訪大社と関係が深い?
写真のお方、『鹿島様』が天津司舞の主役(だと思われます)。
鹿島様は両手に短刀を持ち、その後現れる姫様を追い回す「鬼」を退治したというストーリーに繋がります(ストーリー性はありませんが)。
鹿島様が舞う際には、幕(「御船囲い」と言われる)の内側から縁起物とされる木で作られた小刀が外へ投げ出されます。
見物者は我先にとその小刀を奪い合うのですが、運よく私の前にも投げ出されたため、難なくキャッチさせて頂きました。
あまり目にすることが無いと思いますので、写真を載せておきます。
なお、どうしたものか扱いが分からないため、自宅の神棚に奉納しました。
運よく手に入れた地元の方々はどうしているのでしょうかね?
小刀の柄の部分には「鹿島様」と書かれています。
『天津司舞』の楽しみ方
これは大きく分けて2つあります。
- 純粋に「田楽」要素で傀儡という演劇を観覧し満足する
- 登場人物や舞の内容から神社の歴史などに興味を持って内容に疑問を抱く
何言ってるのか今一つ分かり難いですが、前者は単純に「お祭り要素」を楽しむことで、普通の観光客が普段行っている動き同様です。
問題は後者。
そもそもこの傀儡の舞が行われ始めた経緯や、登場人物と神社に祀られている主祭神との関係が気になる人はこっち側となります。
この先は「こっち側」の内容を主に書いていますので、ご理解頂けると嬉しいです。
天津司舞の主役と思われる「鹿島様」とは誰ですか?
鹿島神宮の主祭神『建御雷大神(たけみかづちのおおかみ)』です。
ここがこの神事に関する重要な肝となり、諏訪大社との関係が繋がるのです。
そもそも、諏訪大社の主祭神である「建御名方命(たけみなかたのみこと)」は、出雲大社の大国主命の子供である国津神。
そして、この鹿島様(建御雷大神)は天津神として天孫降臨した際に、最後まで国を譲らなかった建御名方命を力づくで諏訪の地へ追い詰めた神様なのです。
そしてこの天津司の舞が行われる神社が、諏訪大社の流れである「諏訪(鈴宮)神社」です。
ここで少し疑問が沸いてきます。
建御名方命にとって、鹿島様(建御雷大神)はいわゆる敵対関係にあり、なぜ、自分を主祭神とする神社の境内で主役として舞うことになったのでしょうか?
そんな疑問もあり、わざわざこの「天津司の舞」を見物しに来たのです。
天津司舞に係る二つの神社について詳細を確認する
天津司の舞が行わるのは「鈴宮諏訪神社」ですが、お祭りの開始と終わりは傀儡人形が保管されている「天津司神社」です。
二つの神社について調べてみました。
天津司舞の人形を保管する「天津司神社」
鎮座地:山梨県甲府市小瀬町557
系統 | 御祭神 | 概略 |
三貴子 | 大日孁貴神(おおひるめのむち) | 天照大神の別称 |
三貴子 | 月読神(つきよみしん) | 天照大神の弟 |
磐筒子 | 経津主神(ふつぬしのかみ) | 天津神の武神(香取神宮) |
磐筒父 | 根裂神(ねさくしん) | イザナギがカグツチを殺して生まれた神の1柱 |
磐筒母 | 磐裂神(いわさくしん) | イザナギがカグツチを殺して生まれた神の1柱 |
経津父 | 磐筒男神(いわつつのおのかみ) | 経津主神の父とされる |
経津母 | 磐筒女神(いわつつのめ) | 経津主神の母とされる |
八将神 | 黄幡神(おうばんしん) | 土を司る凶神。陰陽道八将神 |
八将神 | 豹尾神(ひょうびしん) | 不浄を嫌う神。陰陽道八将神 |
実は天津司神社は諏訪(鈴宮)神社の末社にあたります。御祭神を見る限り、旧鈴宮神社との関係が深そうですよね。
とても多くの神様を祀っているのが分りますが、一貫性を紐解いてみましょう。
先ず最初に気づくのが、御祭神の中に「鹿島様(建御雷大神)」が無いことです。
そこは後述するとして、先ずは何故人形が天津司神社に保管されているかを考えてみましょう。
天津司舞の人形は元々諏訪神社の安置されていた?
元々小瀬の地に鎮座していた諏訪神社に9体を保管していたが、武田五郎信光がこの地に屋敷を建てるため、9体の人形と共に諏訪神社を鈴宮神社境内へ移転した。
しかし、その後小瀬の地に「天津司神社」が建立され、そちらに9体の人形を安置させたという文献があります。
そのため、天津司舞を奉納する際は、天津司神社から諏訪(鈴宮)神社まで御幸(おみゆき)という移動を行うようになったと推察されます。
そんなわけで、元々は鹿島様(建御雷大神)は何故か敵?であった諏訪神社に安置されていたことになるのですね。
天津司神社の御祭神を考える
大雑把に見ると、天津神と八将神と言われる陰陽道の神(元はインドの神)に分けられます。
八将神を外して考えると分かり易いかもしれません。
先ず、日本の神々では最高神である三貴子(三貴神)という、伊勢神宮の流れが見えます。
そして鹿島様(建御雷大神)と共に、武神として邇邇芸命(ににぎのみこと)に同伴し、天孫降臨した神である「経津主神(ふつぬしのかみ)」。
そして、「経津主神(ふつぬしのかみ)」に係る祖神が夫婦で二代続けて祀られています。
この内容を見ると、経津主神(ふつぬしのかみ)が主祭神のようにも見えなくもない。
また、両神(鹿島神社、香取神社)ともに「藤原氏」の氏神です。
一方で、八将神と言われる陰陽道の神については、土着(道祖神)の流れか、はたまた鹿島様をお守りするためにあえて祭祀されたのか?正直よく分かりません。
結構特殊な合祀に感じます。
ただ、この天津司舞という神事には「9」という数字がよく目につきます。
- 人形が9体
- 舞が9周
- 祭事全般に使用される定紋は九曜星
八将神は九曜に大きく関わっていることも関係するのか定かではありません。
天津司舞を奉納する「鈴宮諏訪神社」
鎮座地:山梨県甲府市下鍛冶屋町342
御祭神 | 概略 |
天児屋根命(あめのこやねのみこと) | 天孫降臨の随行神。中臣連(藤原氏)の祖神 |
建御名方命(たけみなかたのみこと) | 諏訪大社の祭神。国津神最強の武神 |
鈴宮神社、諏訪神社が合祀された神社。
境内神域には、結構沢山の末社があります。
- 天神社
- 三宮司神社
- 疱瘡神社
- 鹿島神社
- 山神社
- 神明神社
- 西之宮神社
先に記載した通り、天津司神社も末社になります。
天津司舞の舞台である鈴宮神社は藤原氏の氏神が御祭神
天児屋根命(あめのこやねのみこと)(春日大明神)は、邇邇芸命と共に天孫降臨に随伴し、後に中臣氏(なかとみうじ)となった中臣連の祖神。
中臣鎌足を祖とする藤原氏の氏神として信仰された。
鹿島神社(建御雷大神)、香取神社(経津主神)、そして「天児屋根命」と、全て藤原氏との共通点が見いだせます。
全国の諏訪神社共通の神様
建御名方命(たけみなかたのみこと)は諏訪大社の主祭神で、大国主命(おおくにぬしのみこと)の子。
全国の諏訪神社の御祭神は「建御名方命(たけみなかたのみこと)」。
天孫降臨の際、最後まで国譲りに抵抗し、鹿島様(建御雷大神)と格闘の末、諏訪の地へ逃げ込んだと政治色の強い古い書物に記されている。
事実は誰にも分らないことですが、諏訪の地元では領地を統治し、安寧させた人物とする説を有力視している。
もっとも、諏訪大社の起源を考えた場合、信仰対象は記紀の神様ではなく、地元に古くから根付く「ミシャクジ信仰」が根底にあります。
全国の諏訪神社も、どちらかというと「狩猟」や「漁業」などを生業とする「縄文文化」から続く信仰がいつの間にか神社化されたと考えた方が分かり易いでしょう。
藤原氏の氏神様とは一線を画す存在なのです。
『天津司舞』とは結局何なのか?
「天津司の舞」を解釈するためには、その舞を一部始終確認すれ分かると思っていました。
しかし、実際はストーリー性の無さにどう考えていいか返って混乱する結果に。
冒頭は厳かに「笛」や「太鼓」で始まる様相で、鹿島様の登場で盛り上がります。
最後に御姫様と鬼様が登場するのですが、この場面の意味合いがイマイチ不明瞭なのです。
鹿島様は両手に太刀を持ち、強さをアピールしますが、ただそれだけ。
鹿島様が主役であれば、更に最後、鬼を退治する場面がありそうなものですが、この舞には何か起承転結の「結」が抜けているように感じるのはわたしだけでしょうか?
天津司舞の形は今と昔で違う
以下の文献では「元々は12神」であると記載されているが、内容が本当に正しいのかが疑問。
「昔、小瀬の里が開けないころ、12神が天から下り舞楽を奏したが、その後2神は天に帰り、1神は西油川の鏡池に飛び入ってなくなった。しかし残る9神が舞楽を奏し続け、小瀬の里が開かれたので、役人がこの神を模して神像をつくり、舞楽の始まりとなった」
そもそも、日本の「記紀(古事記・日本書紀)」は政治上、都合の良い内容で記されています。
それらが今の神様です。
上記の伝説についても、神の姿を見た後に人形を作ったという順番ですが本当でしょうか?
9神によって行われる「天津司舞」自体が後付け(歪曲)だとすれば、元々の天津司舞は12体による構成で全く違ったものだったかもしれません。
政治上、都合の悪い主役?とそれに関係する3神を燃やしたり川に捨てたりしたことを、あたかも不思議な言い回しで煙に巻いたと考えれば合点は行きます。
そう、何らかの政治的な理由で諏訪を祀ることよりも、藤原氏(中臣氏)の氏神を優先しなければならなかった理由が存在した?
起源が明確にされないのも、時代背景による類推を避けるためかもしれません。
天津司舞は諏訪地方から伝わった芸能文化である?
- 諏訪神社に伝わる伝統的な祭事?
- または、流れて来た傀儡使いによる単なる芸能?
どのような起源で始まったのかは、今となっては定かではありません。
ただ、元々の奉納場所が「諏訪神社」です。
舞の中で力を誇示していた「鹿島様(建御雷大神)」を最終的に「諏訪様(建御名方命)」が倒して安寧という方がすっきりします。
残りの3体にそのカギが隠されている?
そう考えるととてもわくわくしますね。
天津司舞の違和感
- 中臣連(藤原氏)の祖神を祀る「鈴宮神社」との合祀
- 後から創建された、天津神々を祀る「天津司神社」
「諏訪様(建御名方命)」が勝ってはいけない大人の事情が漂いませんか?
天津司舞は、庶民の娯楽である大道芸の一種がこの地に定着したもであることはほぼ間違いありません。
諸説不明な祭事なので、各自自由に考えられる時代に感謝!
さりとて、天津司舞「国の重要無形文化財」なので一度は見る価値があります。
想像力を膨らませ、古のロマンを感じつつ、春の甲府を散策するのは如何でしょうか?