諏訪大社上社前宮の最大神事である「御頭祭」から分かる諏訪大社の起源

ontou_ic 旅のエビデンス

諏訪大社4社巡りを行ってから、諏訪大社のことをあれこれと調べるようになり、「御頭祭(おとうさい・おんとうさい(ここでは「おんとうさい」と読んで行きます」))を知りました。

早速スケジュールを調整し、実際に見に行ってみましょう。

 

御頭祭、当日のお天気は最高!

少し風が強かったのですが、そのお陰で雲が飛び、途中の山梨では鳳凰三山や南アルプスがとても綺麗でした。

 

山が近く自然豊かな上社前宮のロケーション

この日は、少し早く到着したので近くの「神長官守矢史料館」へ立ち寄り、空飛ぶ泥船を撮影しつつ遊歩道を通って上社前宮の本殿上からアクセスしました。

 

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いつ来ても気持ちの良い眺め

諏訪大社上社前宮の本殿から十間廊へ戻る道のりは、いつ来ても眺めが素晴らしい!

手前の電柱が少し邪魔ですが、4社の中では最も牧歌的で心落ち着く場所ではないかと思います。

 

この場所で、これから諏訪大社年中神事の中では最も重要と言われる「御頭祭(おんとうさい)」が行われます。

 

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上社前宮のロケーションこそが、御頭祭が行われて当然の環境なのです。

 

諏訪大社 御頭祭(おんとうさい)とは?

本宮で例大祭の神事執行後神輿行列を仕立て前宮に赴き十間廊で古式に依る祭典が行われます。古くは三月酉の日に行われたため酉の祭りとも言われ、農作 物の豊穣を祈って御祭神のお使いが信濃国中を巡回するに際して行われたお祭りで大御立座神事とも言います。

 

特殊神饌として鹿の頭を始め鳥獣魚類等が供え られるため一部では狩猟に関係したお祭りの如く言われています。唯今は鹿肉とともに剥製の鹿頭をお供えしますが、昔は七十五頭献じられたこともあり、中に必ず耳の裂け た鹿があって高野の耳裂鹿と言い七不思議の一つに挙げられています。

諏訪大社公式ホームページより抜粋

昔の御頭祭

毎年4月15日に行われる「上社の例大祭」です。

歴史の変遷と共にその内容は大きく変化したとも言われており、現在の状況は本来の神事とは大きく変わっていると言わざるを得ないでしょう。

 

御頭祭を語る上で、その奇異な状況を解説した描写入りの文献で有名なのが「菅江真澄」の著書です。菅江真澄は江戸時代後期の旅行家・博物学者という肩書で、当時の御頭祭に供えられた「貢物」を描写しており、それを再現したものが「神長官守矢史料館」の展示物です。

 

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菅江真澄は全国を旅し、現在の長野県塩尻市近辺に1年3ケ月ほど滞在し、1784年に旅立ったという記録があります。その間に長野県の習俗を取材し、御頭祭も見聞したと思われます。

 

即ち、「神長官守矢史料館」の展示物については、たかが235年前を模したもので、それ以前の内容については更に素晴らしい?(えげつない?)内容であったと容易に想像できます。

また、現在の御頭祭が如何に単なる「例祭」となっていることも伺い知れるでしょう。

果たして御頭祭のお供え物が「奇異」と言えるのか?

冒頭、上社前宮周辺の美しい環境をご紹介しました。

もし、稲作文化が未だ無い時代に、この地で生活を行うにはどうすべきでしょうか?

答えは容易に想像でき、この豊かな自然に生息する人間以外の生き物を殺生することが最も簡単に生きる残る道となります。

 

そのような人間の性を考えれば、稲作伝来よりも古くから栄えたこの地では、御頭祭のようなお供えものは「生きるため」に必要な、継続的に確保しなくてはいけない最も大切なものだったのです。

 

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多くの神社が新嘗祭などに代表される「稲作(米)」を中心とした、五穀豊穣を祈念します。

しかし、殺生を基盤としたものは、漁業は別物扱いとし、獣を狩り食すことを穢れと扱い、忌み嫌う傾向がいつの頃からか定着しています。

 

神社仏閣という信仰の場は、生き長らえることへの感謝と継続を感謝することを基本としていたにも係わらず、いつの頃からか、余裕のある人間が、更に多くの幸せを求めるような場所になってしまったのです。

 

人間が生きるためには、住んでいる場所と時代に合った生き方が必要です。

 

この地では、「狩り」という生業を持って、現在まで子孫を繋げていったことを考えれば、御頭祭という祭祀(神への感謝)は必然であり、五穀豊穣を祈念する祭事と全く同じで、決して奇異なることではないということを理解すべきです。

日本人の原点

日本人の原点について考えたことがあるだろうか?

神社の成り立ちを少し調べると、必ずこの問題に行きつきます。

 

この点については大きく二つに分けて考えればシンプルで、「縄文人」と「弥生人」となる。

学校で学んだ歴史の知識では、縄文時代があって弥生時代へ変遷していくわけですが、これはいわゆる狩猟文化から稲作文化へ移り変わって行くことを意味します。

 

現在の神社は、この稲作文化に係る弥生人を主祭神としています。

そこには「農耕」という知識と共に、当時としては最先端の文明をもたらし、それに合わせて平等から不平等へ繋ぐ「階級」がもたらされた結果とも言えるでしょう。

 

天孫降臨という国譲りは、この弥生人が美化した神話と思って差し支えないと考えます。

 

侵略された縄文人にも生きる鎹(かすがい)となる信仰が当然ありました。それがミシャグジ神に代表される土着の神(精霊)で、いつの間にかその信仰が記紀の神様を信仰させるという政治的な圧力がかかり現在へ至っていると想像出来ます。

 

弥生人がどのように日本へもたらされたかは諸説あります。朝鮮半島からの渡来人で日本土着の民族とは違う説や、九州地方の土着人が朝鮮半島へ渡り、再び日本へ戻った説など。この辺りについて興味のある人は色々調べ、自分の都合にマッチした説を信じれば良いと思います。

 

重要なのは、この「御頭祭(おんとうさい)」というものは、間違いなく日本人の原点を模した祭祀であることを頭に入れてこの地へ訪れる方が見ごたえがあるということです。

 

現在の御頭祭

祭事に際し、生きた獣を狩り、奉納するということは無くなり、最も有名な鹿については「頭のみ」のはく製を使い回しています。

 

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唯一「キジ」は生きたまま白い紙に包み献上されますが、祭事が終了すれば再び野に放つそうです。

写真のキジは生きており、眼光の鋭さに注目して下さい。

左手には鯛でしょうか?魚ももちろん供えられます。

 

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古くからの御頭祭では、供え物同様の食物で宴席がもたらされたと考えられます。

山からの恵みに感謝し、山の神々へのお礼としては75頭もの鹿は多過ぎますので、大祝(おおほおり)、五官の祝(ほおり)を中心に、分け与え、一部を宴席で供されたでしょう。

 

現在、神事の後にどのような宴がるのか?催されているのかいないのか?さえ、地元とは関係のない人間には知る由もありません。

 

祭祀のレポート

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お天気に恵まれたこの日、上社前宮の十間廊は普段とは趣が違います。

祭事の準備が慌ただしく進んでいきす。

 

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十間廊に置かれる御神輿(上座)の位置

大祝(おおほおり)の制度がある時代は、上段の中央に鹿側の敷物が敷かれ、そこに大祝が着座したということです。御神輿は同じ位置に置かれますので、明治5年に廃止された神職の世襲制に伴い、生き神様が居なくなってしまった替りに、諏訪大明神が神輿に乗って鎮座する図式となったのでしょう。明治政府はなかなかのぶっ壊し屋政府である。

 

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上社前宮から御神輿が到着

大行列

まさに大祭に相応し行列が上社前宮から続きます。

到着した一行は、大きな十間廊に入りきらない人数でした。

 

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御神輿の到着

御頭祭の開始は、上社本宮より諏訪大明神が神輿により前宮へ遷座することから始まります。

上社本宮から約1.5kmの道のり経て、まず「御杖柱(みつえはしら)」と呼ばれる神輿の前に掲げられる長さ約2.2mのヒノキ柱が十間廊へ入ります。

 

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長い道のりを経て、御神輿が十間廊へ到着しました。

特別な装束なのでしょうか?担ぎ手は鮮やかな黄色の装束を見にまとっています。

 

余談ですが、神輿を降ろした後、祭りの関係者でしょうか?黄色担ぎ手一同に「神事が終わるまでお行儀よく待ってな」っと、冗談っぽく言われていました。地方の行事が大きいと、住民も大変ですね(笑)。

 

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続けて上社前宮へ到着した神輿は十間廊の上座へ安置されます。

この作業、とても手間取っていました。

 

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落ち着きました。

担ぎ手の皆さま、お疲れ様でした。

帰りも頑張って下さい!

 

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神事の開始

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御神輿の前を整えることから始まる

やっとの思いで設置した御神輿。

その御神輿が祭祀の中心となるため、現在の諏訪大社で最も偉いと思わる宮司が座る御神輿脇の「毛皮の敷物」の設置と共に、お供え物の配列替えが厳かに営まれる。

 

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右手上座にお座りになった宮司の敷物は毛皮。

 

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御神輿へのお供え物。

 

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御杖柱(みつえはしら)

昔は、この柱にミシャグジ神を降ろしたのだろうか?

 

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準備は整った

宮司が祝詞を上げ、続いて玉串を捧げる。

 

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(ちょっと一息)珍しい?神職の靴

実は今まで気にも留めなかった、神職の靴を始めて目の当たりにしました。

皆さんは見たことが有りますか?

 

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この神職が履く靴を「浅沓(あさぐつ)」と呼ぶそうで、神事によって三種類を履き分けるとのこと。

  1. 正式な浅沓=木製
  2. 神輿などの帯同で歩きが多い時の浅沓=革製
  3. 地鎮祭など足元が悪い場所で履く浅沓=ゴム製でくるぶしを包むビニールがある

 

写真の浅沓は、2番の革製浅沓のようです。

正式には「烏皮沓」と呼ぶそうです。

参加者の様子

参加者は十間廊に入りきれないということを前述しましたが、その様子がこれらの写真です。

普段、上社前宮の十間廊は閑散としているので、とても珍しい光景です。

入りきれない参加者は、後ろの方で観光客同様に立ち見となっていました。

 

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地元名士の紹介などが長いのでその間に前宮本殿再訪

ある程度の祭祀が進行すると、地元名士や関係者による玉串奉納など、あまり興味の無いことが続いたので、時間潰しのため、再び前宮本殿へ向かいます。

周りの景色を撮影したり、前回訪れることが出来なかった場所へ行ったりしている内に、すっかり日差しの位置が変わってきました。

 

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あっけない御頭祭の終了

暫くして戻ると、参加者は十間廊から内御玉殿へ移動し、祝詞を捧げてる最中でした。

 

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十間廊には御神輿だけが残されています。

昔はこの後、飲めや歌えの宴席があったのかな?

 

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観光客もほんとんど去り、滞りなく祭祀は終了し、再び本宮へ向かうようです。

 

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再び静かな上社前宮へ戻ります。

 

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「荒玉社」を参拝して帰路へ

前回訪問時には、この駐車場にまさか「荒玉社」が鎮座しているとは思いませんでした。

今回はきちんと参拝して帰路へ付きたいと思います。

お疲れ様でした。

 

なお、荒玉社の細かい内容が中々見つからないため、併設されている説明文を転載します。

御頭祭に先立ち、「前宮荒玉社祭」が行われるそうです。

 

「新御魂社」とも書き、原始農耕の神事として田の神を降し、稲の御霊をまつる社で上社の重要な摂社である。古書によれば正月元日にはまず大祝以下の神官氏人が参詣し、旧暦二月晦日の春祭の最初にあたり神使(こうのと)が出仕して「野出の神事」が行なわれたとあり現在も続いているが簡素な神事だけになっている。なおこの社の造営は、古来より山浦の中村郷の役であった。

 

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御頭祭を訪れて感じたこと

御朱印集めの一環で諏訪大社4社巡りを行ったのがきっかけで、ブログをまとめる上で色々な参考文献を読み進める内に、諏訪大社という神社の特殊性を知りました。

 

「特殊性」と書くと、いかにも諏訪大社は可笑しな祭祀を行っているように感じさせてしまうかもしれないが、この特殊性こそが日本人の本来の姿だと感じて下さい。

 

多くの皆さんが諏訪大社へ参拝し、少なくとも記紀の神様とは違う「ミシャクジ信仰」を知っていることにも驚きでした。

 

ただ単にパワースポットなどと語りつつ、祀られてる神様の意味や創建理由も知らぬくせに、好き勝手なお願いだけして帰って行くことが如何に愚かしいいことか。そんな「ボーっと生きてる(NHKか(笑)」人が多い中、物事を知る大切さを改めて認識させられました。

 

更に多くの年月を費やし、何らかの理由で日本中の神社の御祭神が変わる可能性が否定出来ないのが世の中の流れなのでしょう。