諏訪大社のルーツに迫る「神長官守矢史料館」は4社巡りと共に訪れる価値あり

shicyoukan_ic 旅のエビデンス

諏訪大社上社の祭祀は、大祝(おおほおり)と呼ばれる最高位の神官のもと、五官の祝(ほおり)という神職で執り行われていた。

この「五官の祝(ほおり)」で最高位なのが「神長官(じんちょうかん)」です。

 

  1. 神長官(じんちょうかん)
  2. 禰宜大夫(ねぎだゆう)
  3. 権祝(ごんのほうり)
  4. 擬祝(ぎのほうり)
  5. 副祝(そいのほうり)

 

改めて諏訪大社の歴史を辿ると、守矢氏の存在が大きく、更に数々ある奇祭のルーツに繋がります。

今回、諏訪大社の大祭である「御頭祭(おんとうさい)」に合わせ、前回の諏訪4社巡りでは存在すら知らなかった「神長官守矢史料館」を訪れることにしました。

 

 

「神長官守矢史料館」の場所

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諏訪大社の上社前宮へ訪れた人は分かり易いと思いますが、上社前宮の駐車場は県道を挟んだ第一鳥居の向かい側にあります。この県道を上社本宮方面へ行くと、左側にひっそりと存在しています。

資料館の前にも駐車場はありますが、観光シーズンなどは広い上社前宮の駐車場を利用し、徒歩で訪ねても大して時間はかかりません。

 

長野県茅野市宮川389-1

 

出来ればスニーカーや簡易のトレッキングシューズを着用し、資料館の奥にある「空飛ぶ泥舟」など

地元出身の建築家である、藤森照信さんの奇想天外な建築が3つ見られる場所も訪れつつ、山沿いの道を辿り、上社前宮の本殿を見下ろしながら戻って来るコースを通ると面白いですよ。

 

 

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「神長官守矢氏」とは?

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諏訪大社という全国的に見ても大きな神社については、その存在自体を多くの人が知っています。しかし、「守矢氏」という固有名詞をいきなり出されてもよく分からなくて当然です。

 

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冒頭の説明通り、守矢氏とは神長官という偉い役職に就いていた方であることは理解出来ましたが、自画自賛の役職自慢で、自費で銅像を建立するような可笑しな成金とは一線を画します。

この方の存在が、諏訪大社の起源であると言って過言ではないのです。

 

諏訪大社の歴史

諏訪大社の歴史については、諏訪大社4社巡りで散々と書き散らかしてきました。

日本最古の神社と言われる所以、そこについては日本の記紀で語られる以前の成り立ちが重要

日本の記紀から見る歴史

日本の記紀から導き出される諏訪大社は、「建御名方命(たてのみなかた)」から始まります。

 

天孫降臨の国譲りの際、大国主命の息子として最後まで抵抗した結果、「建御雷神(たけみかつち)」に敗れ諏訪の地へ逃げ込んだという説は日本全体の認識。

一方で、地元に伝わる説では、出雲から来た「建御名方」が地元の「洩矢神」と闘い勝利し、稲作をもたらしたと考えられています。

 

日本の記紀は政治的な絡みで編さんされているので、わたしは地元に伝わる説を信じます。

「洩矢神」=「守矢氏」

諏訪の地を乗っ取った「建御名方」は諏訪大明神となるのですが、稲作伝来の歴史を考えると、現在の下社がこの時に創建されたと推察出来ます。

一方上社は、それ以前からこの地を納めた「洩矢神」による祈祷が行われていた場所で、記紀伝来以前からの土着信仰の場所であったと容易に想像できるでしょう。

 

諏訪の占領後、土着信仰は虐げられずに残り、「建御名方命」を祖神とする「諏訪氏」が「大祝(おおほおり)という、諏訪大社最高位の「現代人神(あらびとがみ-生神)」として君臨します。

 

しかし、実際は祭祀の実権については、大祝に次ぐ「神官長」である「守矢氏」にありました。

土着信仰であった「ミシャグジ神」を祀る、古くからの祭祀は一子相伝が原則で、火の気の無い「祈祷殿」にて、夜な夜な「守矢氏」一族に引き継がれていたのです。

 

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土着信仰が垣間見れる資料館

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史料館の建物は郷里出身である藤森照信の基本設計による。史料保護のため鉄筋コンクリート造りであるが、屋根には諏訪産の鉄平石、外壁にはサワラの割板、内部にはワラ入りモルタル、手吹きガラス、鍛造による金具などが使用され周囲の景観を損ねないような配慮が成されている。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)

 

資料館の建物はとても素敵な設計だ。

斜めから見るのが一番良いが、正面からの全景を確認すると「獣の角」かと思うような、二本の柱が屋根を突っ切っているのが非常に印象的です。

 

内部にある、おどろおどろしいものへの期待感が否応なく高まる。

 

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「狩り」を主体とし「精霊」を崇めた上社の起源

先ずは入口を入って直ぐに見られる展示物を見よう!

 

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どうしても目についていまうのが「串刺しにされた兎」。

そして「御頭祭」のお供え物伝説で有名な「耳裂鹿」。

 

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昔の「御頭祭」では、本当に狩ってきた鹿を数十頭(75頭)供えたとのこと。

もちろん、料理した肉も供えます。

左から、生兎、生鹿を煮て味付けしたもの。そして脳和(のうあん)という鹿肉と脳みその和え物。

食べてみたいですね。

 

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もちろん、酒と魚も揃ってます♪

 

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これらの料理については、江戸時代中期のものを当時見聞した「管江真澄」という方のスケッチより再現したものということです。とても豪華であることから、当時の上社前宮の力が伺えます。

 

壁には、鹿だけではなく猪も展示されています。

 

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資料館の衝撃は入口のみで、奥には資料が展示されているだけ

資料館の入り口付近では、上述のように土着信仰の祭祀が垣間見れます。

しかし、資料館の内部さほど大きくはなく、このエリアから先は細くなり、小さな部屋には数々の貴重な文献(県宝)が展示されています。

撮影は禁止されていたので写真はありません。

 

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縄文時代から続く狩りが主題の信仰

守矢氏の始まりは諏訪と上伊那を中心とするミシャグジ祭政を統率した古代氏族であったと考えられているそう。そして、この氏族を征服した外来勢力が建御名方。

統治が変わったことで、祭政権の交代が行われ、これが現地に伝わる建御名方神(諏訪明神)の諏訪入りの神話の由来です。

 

その後、外来勢力の大祝(おおほおり)を最高神とした神官を中心とする新しい体制が生まれ、旧体制の頂点であった守矢氏はこれに取り込まれて、大祝との一体祭政が確立しました。ミシャグジを自由に扱える守矢氏は実質的に祭祀権を握り続け、大祝の即位式は守矢氏の手で行われたのです。

 

ミシャグジ様とは?

諏訪大社におけるミシャグジ様とは、樹や笹や石や生神(大祝)に降りてくる精霊だと言われています。地域によっては、普通の石を崇拝する場合もあり、各地に点在する諏訪神社の一部では、本殿の奥にそのような石があるようです。

神長官のみが特殊な能力を持つ

大祝は成年前の幼児が即位したといわれ、また、即位にあたっての「神降ろしの力」や「呪術によって神の声を聴く」「神に願い事をする」、これらの力は神長官のみが持つとされており、諏訪の信仰と政治の実権は守矢が持ち続けたと考えられます。

 

外来勢力によって諏訪大社が産まれましたが、その内実はミシャグジを自由に操る守矢氏に実権があり、大祝(おおほおり)を自由に操っていたのが神長官だったのでしょう。

 

何れにしても、記紀の神様とは一線を画す土着の神であることが分ります。

 

何故この地に居を構えたのか?

元々は「神原(ごうばら)」と言われた、現在の上社前宮にある「内御玉殿」と「十間廊」の下方あたりに住んでいたと言われていますが、後に外来勢力に引き渡し、資料館のある場所へ移ったと考えられています。

 

神原(ごうばら)には大祝(おおほおり)の神殿(ごうど)があったと伝えられています。

また、政治の中心的な役割も果たしていましたが、室町時代に諏方氏が惣領家と大祝家とに分かれた時、政治の中心地は惣領家の居城である上原城に移りました。

 

大祝の屋敷も後に上社本宮の近くにある宮田渡(みやたど、現・諏訪市中洲神宮寺)に移転しましたが、引き続き祭事は前宮で行われていました。

 

御頭御社宮司総社へ

御頭御社宮司(おとうみしゃぐじ)総社とは、守矢氏の敷地内にある神社で、ミシャグジ神を祀っています。

資料館を出て、右手の小高い丘の上に鎮座。

 

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御頭御社宮司総社参拝の前に

右手にイチイの生垣があるのが目に付くはずです。覗き込むと祠が見えます。

これは、守矢家の氏神?(屋敷神?)なのか、「岐神社」と「千歳社」二社の祠です。

 

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詳細は割愛しますが、大祝(おおほおり)と神長官とは確執があり、その流れから右手奥にはなぜか15代にもわたる大祝の墓所があります。

 

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その墓石の裏には「不動明王」が彫られ、御頭御社宮司総社へ向かっている。

一方でこのイチイの生垣内の千歳社は、大祝家に対する優位性を主張しているものと解釈され、見えない所で呪術戦が繰り広げられていることを垣間見れます。

御頭御社宮司総社

これは裏手から見た所です。

御頭御社宮司総社の横には、2社の境内社が鎮座しています。

 

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御頭御社宮司総社

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二社は「稲荷社」と「天神社」です。

いわゆる、記紀の神様を祀っているのですが、これは政治的な何かだと思われます。

 

また、奥に見える石碑(墓石)群が、歴代大祝いの墓所です。

墓石の背がこちら側に向いているのが分かりますよね?

 

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訪れたのは「御頭祭」当日なので、桜の季節です。

しかし、この場所は草木が青々とした夏空に似合いそうですね。

諏訪大社という神社

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ここまで読めばお分かりの通り、記紀の神様である「建御名方神 (たけみなかたのかみ)」は、地元ではあくまでも「諏訪大明神」という言い方でお茶を濁します。

 

諏訪地方の神社では、ほとんどが「御社宮司(みしゃぐじ)」を祀っていると言う説もあるほどで、土着信仰が根強い土地柄であることは、この地方から発掘される隆盛を誇ったであろう縄文土器の数々が証明しています。

 

当時の朝廷より、「建御名方」を御祭神とする通達があっても、守矢氏を始めとする地元民はこれを素直に受け入れています。しかし、実際は土着信仰を基盤とした祭祀が継続したのです。

 

そして、現在の諏訪大社があります。

 

上社と下社の位置づけも含め、記紀の歴史を無視した見方で再度この地に訪れても面白いでしょう。

 

神長官資料館の内容が長くなったので…

神長官資料館の設計者である「藤森照信氏」の作品が近くに展示されています。

わたしは、資料館を見学したあと、大祝の墓所横を通って作品群を見学してきました。

その後、「鎌倉道遊歩道」を通って、御頭祭が行われた「上社前宮」へ。

 

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遊歩道は山道もあり少し大変ですが、抜けた先は前宮本殿の真上です!

 

別記事でレポートしますので、合わせてお読み下されば幸いです。

前宮周辺って落ち着きますよね。