日本で最古の神社の一つと言われている、信濃国一之宮『諏訪大社』。
全国で25,000社ある「諏訪神社」の総本社である。
お伊勢参りに引き続き、今回も4社巡りで5の御朱印を1日で授かる旅を実行しましました!
1社目は『諏訪大社 下社春宮(しもしゃはるみや)』。
関東から遠い下諏訪地区、万治の石仏も近くに鎮座する下社春宮から旅のスタートです!
諏訪大社『下社春宮』の御参拝とおすすめポイント
参拝へ訪れたのが3月下旬、正に「春」の春宮ですが、残念なことに諏訪地方は結構寒い場所なので、春というにはまだ少し早い感じの肌寒い日でした。
諏訪大社春宮入口は「下馬橋」と「御影石の大鳥居」が目印
春宮へ向かう800mの真っすぐな専用道路の行く手を阻むのが、室町時代に建立された下馬橋(げばばし)。
真っすぐな道は一端そこで曲がり、再び春宮へ向かい、駐車場は鳥居の手前に設けられています。
春宮の入り口にある御影石の大鳥居は、万治二年(1659)建立の建立と推測されており、後程紹介する「万治の石仏」と同じ作者であると云う。
諏訪大社春宮の幣拝殿と左右片拝殿は国の重要文化財
一礼の後、鳥居を通り境内へ。
先に御朱印をお願いしておけば、引換札で帰りに受け取れるのでおすすめです。
先ずは参拝の準備として、手水舎でお清めを行いましょう(写真に写っている方は当方とはまったく関係の無い方です)。
諏訪大社は、上社前宮を除き「本殿」が無いことで有名。
ここ下社は、神楽殿と拝殿、左右片拝殿及御宝殿と続く建物の配置は秋宮と同じです。
春宮と秋宮の社殿は同じ絵図面で、大きさは違いますがその構造も全く同じだそう。
春宮の社殿は地元の宮大工柴宮(伊藤)長左衛門が請負い、安永九年(1780)に竣工しました。
幣拝殿
国重要文化財
この建物は幣拝を奏でる幣殿と拝殿が一体となったもので幣拝殿と呼ばれている。
建築様式は二重楼門造りで全体に見事な彫刻が施されている。
棟梁は地元の宮大工柴宮(伊藤)長左衛門で秋宮と同じ絵図面で秋宮幣拝殿より一年早い安永9年(1790)に落成した。
春秋両宮は社殿構造は同じで当時は双方で技術が競われた。
左右方拝殿
国重要文化財
方拝殿とよばれるこの建物は、幣拝殿と同じ安永九年(1780)地元の大工柴宮(伊藤)長左衛門により造営されたものである。
秋宮に比べて幅が短く、屋根は片切りになっている。
諏訪大社春宮の神域内に鎮座する摂社・末社への参拝も
大きな神社へ参拝を行う際、忘れがちになるのが摂社と末社への参拝です。
本社に関係する大事な神様が祀られていますので、時間が許す限り、参拝とその由来を確認しましょう。
若宮社(摂社)
『諏訪神系図』では、祭神の建御名方命には二十二子神がおられます。
その中でも「信濃の国の開拓に尽力があった十三神を若御子または若宮社としてお祀りしている」と記載がある。
御祭神は次の通り(入力が大変だった~)。
- 建御名方彦神別命(たけみなかたひこがみわけのみこと)
- 伊豆早雄命(いづはやをのみこと)
- 妻科比賣命(つましなひめのみこと)
- 池生神(いけのおのかみ)
- 須波若彦神(すわわかひこのかみ)
- 片倉辺命(かたくらべのみこと)
- 蓼科神(たてしなのかみ)
- 八杵命(やさねのみこと)
- 内県神(うちあがたのかみ)
- 外県神(そとあがたのかみ)
- 大県神(おほあがたのかみ)
- 意岐萩命(おきはぎのみこと)
- 妻岐萩命(つまぎはぎのみこと)
上諏訪社(末社)
上の諏訪、つまり上社の御祭神をお祀りしています。
- 建御名方神(たけみなかたのかみ)
諏訪大社春宮の御柱はもちろんこと御神木である「杉の木」も詣でよう!
諏訪大社と言えば「御柱」が有名で、4社全てで見ることが出来ます。
一方、春宮の御神木は「杉の木」で、自然崇拝の土着信仰がある諏訪大社では必ず詣でる必要があるパワースポットです。
御柱は、幣殿後ろの立ち入り禁止区域以外は近くで見ることが出来ます。
奥の御柱も横から覗けますが、神域への立ち入りは止めましょう。
『結びの杉』は上部で二股に分かれています。
これ故に、「縁結びの杉」ともいわれていますよ。
諏訪大社春宮へ来たら「万治の石仏」と「浮島社」への参拝をお忘れなく!
春宮の鳥居を左手へ行くと、「万治の石仏」なる案内看板があります。
実は、こちらには「砥川」という川が流れていて、四季を通じて美しい景観を味わうことが出来るのです。
遊歩道に沿って、赤い橋がかかっており「万治の石仏」へ続いておりますが、その途中の中之島に下社末社の「浮島社」が鎮座しています。
この浮島は大水でも流されないという、下社七不思議の一つに数えられているそう。
浮島社
- 祓戸大神(はらえどのおおかみ)(魔や汚れを祓う神様)
さて、浮島社への参拝を済ませたら「万治の石仏」へお参りに行きましょう!
石仏の前で手を合わせ、「よろずおさまりますように」と唱え、願い事をしながら三回石仏の周りを時計回りで回ります。
そして最後に「よろずおさまりました」と唱えて一礼すれば願い事が叶うと云う。
しかし残念ながら、実際は観光のためにこの参拝方法を商工会が流布したのですよ。
わたしは信じて行いましたが(笑)
なかなか素敵なフォルムですが、血塗られた過去が…。なんてね。
伝承によると、諏訪大社下社春宮に石の大鳥居を立てるため、この石仏を材料にしようと鑿を入れたところ(その鑿は現存している)、そこから血が出てきたため職人達は祟りをおそれ、その晩に夢枕で上原山に良い石材があるという夢を見た職人達が探しに行くと見つけることが出来、職人達はこの石仏を阿弥陀如来として祀った。それに因んでこの辺りの小地名は「石仏」となっている。
同仏像は、芸術家の岡本太郎が訪れて絶賛したことにより有名となった。また、上諏訪町(現・諏訪市)出身の小説家・新田次郎も万治の石仏を賞賛しており、同仏像はイースター島の石人の頭部が日本へもたらされたものとする大胆な想定を基にして小説『万治の石仏』を著している。
岡本太郎関係や小林一茶などの石碑はこちら。
見どころ満載の「諏訪大社下社春宮」でした。
この辺りは新緑の美しい、初夏に再訪したいですね。
諏訪大社『下社春宮』の駐車場
『ナビ設定』おすすめの行先(徒歩5分以内の無料駐車場)
駐車場は大門通りを左手に「下馬橋」をよけるように直進すれば、右手にあるので直ぐに分かります。
「下馬橋(げばばし)」を過ぎるのが目安。
諏訪大社『下社春宮』の御朱印を授かる前の基本情報
諏訪大社春宮の御祭神
御霊代(依り代)が2月と8月に両社間を遷座する(春宮=2月~7月)。
- 建御名方神 (たけみなかたのかみ)
- 八坂刀売神 (やさかとめのかみ) - 主祭神
- 八重事代主神 (やえことしろぬしのかみ) - 合祀
建御名方神の兄神。国譲りの際にはすぐ服従したとされる。
1.建御名方神 (たけみなかたのかみ)
軍神でありながら諏訪の地で山、水、風の自然を司る神となる
【父】出雲で国造りを行った『大国主命(おおくにぬしのみこと)』
【母】『沼河比売(ぬなかわひめ)』と伝えられる
【兄】下社に合祀される『事代主神(ことしろぬしのかみ)』
【妻】前宮の主祭神の『八坂刀売神(やさかとめのかみ)』
神話の世界で一般的なのは、天孫降臨の時に天津神の『建御雷神(たけみかづち)』と相撲を取り、負かされたために諏訪の地へ逃げて来たというお話です。
恐らく、後々の政権が出雲の悪口も合わせ、都合の良い方向へ話を持って行きたかったのでしょう。
御神徳
武運長久、交通安全、国土安寧、五穀豊穣、盛業繁栄、狩猟守護、子孫繁栄
2.八坂刀売神 (やさかとめのかみ)
建御名方神の妻であるが神話には登場しない謎の女神
神話には登場せず、どのような女神であるかは不明。
諏訪湖の『御神渡り』は、上社に鎮座する建御名方神が下社に鎮座する八坂刀売神の元へ訪れる際に出来たものと伝えられています。
上社前宮の主祭神も『八坂刀売神』ですけどね、わざわざ下社へ行くのですね?
実は一般的には、上社には建御名方神 (たけみなかたのかみ)、下社には八坂刀売神 (やさかとめのかみ)が鎮座しているとも云えられています。
また、両神は婚姻関係にあったのではなく、建御名方神 (たけみなかたのかみ)が諏訪の地を創る際に、創り方を教えたのが、その時既に神様であった八坂刀売神 (やさかとめのかみ)とも。
御神徳
五穀豊穣、夫婦和合、子授かり、縁結び
3.八重事代主神 (やえことしろぬしのかみ)
国津神でありながら皇室(天津神)と深い係わを持つ神
建御名方神 (たけみなかたのかみ)の兄で、同じく出雲で国造りを行った『大国主命(おおくにぬしのみこと)』が父。
しかし、母は違って神屋楯比売命(かむやたてひめのみこと)。
事代主神は神武天皇の后の父親とされており、皇室(天津神)と深い係わりを持つ。
一方で、七福神で有名な『恵比寿様』という見方もあり、秋宮にある「秋宮恵比寿社」はその流れで鎮座したのかもしれませんね。
御神徳
諏訪大社下社では合祀されていますが、別の神社ではとても有名な神様。それ故、御神徳はとても多いのです。
商売繁盛、開運、厄除け、福徳円満、病気平癒、海上安全、大漁満足、学業、歌舞音曲
下社春宮の歴史
6世紀末から7世紀初頭
伊那郡から諏訪や埴科、水内へ進出した金刺氏が創建したものと考えられています。
金刺氏の祖の墓と想定されている青塚古墳は下社秋宮の近辺に位置しているため、秋宮は自ずから祖先祭祀の場で、砥川のほとりにある下社春宮は、水霊を祀る祭場だったと思われる。
要するに、諏訪湖の北に拠点を構えた金刺氏はその王墓を祀り(秋宮)、砥川の自然信仰(春宮)を取り込み、諏訪下社となる社壇を作り上げたと考えられるのです。1470年(文明12年)
上社と下社の対立激化。その後甲斐の国武田氏により平定。
これにより武田氏の占領を許すわけです。
諏訪大社『下社春宮』の御朱印
諏訪大社春宮の御朱印が授かれる場所
- 鳥居を過ぎてすぐ右手の社務所で授かれます
- 人が多い日は参拝前に預けて、帰りに受け取る方が良いです(諏訪大社は全社、引換券を発行していますので安心です)
初穂料
- 各500円(通常の御朱印)
次は「下社秋宮」へ!
『ナビ設定』おすすめの行先(徒歩5分以内の無料駐車場)
ルート
諏訪大社下社秋宮への距離は大したことはありません。
但し、行き方はいくつかあるので、ナビの指示通り動けばOKでしょう。
安全運転で!