日本で最古の神社の一つと言われている、信濃国一之宮『諏訪大社』。
全国で25,000社ある「諏訪神社」の総本社である。
お伊勢参りに引き続き、今回も4社巡りで5の御朱印を1日で授かる旅を実行しましました!
2社目は『諏訪大社 下社秋宮(しもしゃあきみや)』。
下社秋宮では「秋宮恵比寿社」の参拝も行えば、秋宮と合わせ2つの御朱印が授かれます!
諏訪大社『下社秋宮』の御参拝とおすすめポイント
諏訪大社下社秋宮は、春宮と比べると少し華美な印象を受けます。
秋宮には諏訪湖七福神巡りの一つ「秋宮恵比寿社」が鎮座しており、参拝をすれば御朱印も授かれますのでお忘れなく。
下社秋宮は参拝者の賑わいが諏訪大社4社の中で一番?
わたしが参拝に伺った日がたまたま多かったのか?分かりませんが、1日を通して4社中、最も参拝者で賑わっていたという印象の『下社秋宮」。
駐車場は正面鳥居の前を右折した、少し坂を上った所にあります。
故に、正面鳥居へ回ることなく参拝が行えてしまうので注意が必要です(わたしは正面へ行きませんでした…)。
写真は駐車場側から参拝する際の鳥居。
この右手に御朱印を授かれる社務所がありますので、参拝前に御朱印帳を預けると良いです。
忘れがちな「秋宮恵比寿社」は駐車場を挟んだ反対側に鎮座していますので、効率的に考えると、先ずは「秋宮恵比寿社」を参拝後、御朱印帳を預け、「上社秋宮」を参拝する方が良いでしょう。
但し、御朱印帳を預ける際は必ず「秋宮恵比寿社の御朱印もお願いします」と言わないと、「上社秋宮」の御朱印しか授かれませんので念のため付記します。
諏訪大社秋宮の手水舎は長寿湯「御神湯」で先ずはお清め
下社秋宮の手水舎は、下諏訪温泉を利用しているので少し熱めです!
この温泉水が出る「御神湯」は長寿湯とも呼ばれますが、正直、参拝の日は肌寒かったので、ちょっとうれしい気分になりました。
諏訪大社下社秋宮の見どころ
下社の御神木(御神体と解釈する人もいる)はそれぞれ樹木です。
春宮は「杉」、そして秋宮の御神木は幣拝殿の後ろにある御宝殿の更に後ろの「イチイ(一位)の木」。
残念ながらどの木が御神木かは分かりませんでしたが、興味のある方は探してみて下さい。
御神木には神が宿ると云われており、「御柱」は幣拝殿、御宝殿そして御神木を囲むように四隅に建てられています。
後ろ側の御柱の間、ちょうど真ん中あたりに御神木があるのでしょう。
境内には、御神木以外にもとても素晴らしい樹木がありますので、是非そちらもご覧下さい。
巫女の姿も美しい秋宮の神楽殿は国の重要文化財
秋宮の神楽殿は、江戸時代である天保6年(1835年)造営されたそうです。
一方、春宮の神楽殿は、天和年間(1681年-1684年)頃に造営されており、秋宮の神楽殿より古い?
文化財の指定基準は無知なので、単純に古い方が有利なのかと思っていましたが違うのでしょうか?
また、春宮神楽殿の造営時期について、わたしの調査に間違いがあるかもしれません。
何れにせよ、つまらない疑問なんで無視して下さい。
この日は大人数の御祈祷が催されており、巫女さんも大忙しのようです。
幣拝殿と左右片拝殿は春宮と同じく国の重要文化財
幣拝殿と左右片拝殿について、素人のわたしから見ても、春宮も秋宮もまったく同じです。
社殿の形式は同じ絵図面から建築されており、当時は違う宮大工によって建築の技術を競わせたという有名な話がある。
この辺りに詳しい人は細部の良し悪しを比較するのも楽しいでしょうね。
秋宮の神域に鎮座する「摂社」と「末社」も参拝しましょう
八坂社(末社)
建御名方神 (たけみなかたのかみ)の祖父が御祭神という繋がりでしょうか。
また、八坂の名は謎の多い八坂刀売神 (やさかとめのかみ)との関係も無視できません。
古事記・日本書記に伝わる素戔嗚尊は、八岐大蛇という大蛇を退治し、奇稲田姫命を助けたお話が有名。
このお二人の間には、八人の皇子が産まれました。それが、八柱御子命です。
この三柱をお祀りする神社ということですね。
- 素戔嗚尊(すさのうのみこと)
- 八柱獅子神(やはしらのみこがみ)
- 奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)
賀茂上下社(かもじょうげしゃ)(末社)
建御名方神 (たけみなかたのかみ)の兄である、事代主神(ことしろぬしのかみ)の子として生まれたのが媛蹈鞴五十鈴媛(ひめたたらいすずひめ)。
すなわち「玉依媛命(たまよりひめのみこと)」であったと云われています(神武天皇の皇后)。
そしてその子供が「賀茂別雷神(かもわけいかづちのかみ)」であるとか。
ここにも神話が重なるのです。
- 上賀茂(賀茂別雷神社)
- 賀茂別雷神(かもわけいかづちのかみ)
- 下賀茂(賀茂御祖神社)
- 玉依媛命(たまよりひめのみこと)
- 建角身命(たけつぬみのみこと)
子安社(末社)
諏訪大神(建御名方神)の御生母の神で、御本社は新潟県糸魚川の奴奈川神社。
古来から縁結び、安産、子育ての守護神として諏訪大神を補佐され、お子安さまとも称され親しまれている。
底を抜いた柄は安産の祈願やお礼参りに奉納されたもので、水が使えず軽くし、抜ける如くに楽なお産が出来るようにとの願いが託されている。
- 高志沼河姫命(こしのぬなかわひめのみこと)
鹿島社(末社)
言わずと知れた「建御名方神 (たけみなかたのかみ)」を諏訪へ追いやったとされる神様を祀る神社。 御祭神
- 武甕槌命(たけみかづちのみこと)
稲荷社(いなりしゃ)(末社)
古事記では、倉稲魂神(うかのみたまのかみ)はお稲荷さんで有名な稲荷神社の御祭神。
建御名方神 (たけみなかたのかみ)の祖父である素戔嗚尊(すさのうのみこと)の娘という伝えなので、その縁で末社が鎮座しているのでしょう。
なお、配神の二柱は次の通りです。
大宮賣命(おほみやのめのみこと)は倉稲魂神に仕える巫女を神格化したものという一説。
佐田彦命(さたひこのみこと)は猿田彦神の別名。
- 倉稲魂神(うかのみたまのかみ)
- 大宮賣命(おほみやのめのみこと)
- 佐田彦命(さたひこのみこと)
若宮社(摂社)
下社春宮の若宮社と同じですね。
『諏訪神系図』では、祭神の建御名方命には二十二子神がおられ、その中でも「信濃の国の開拓に尽力があった十三神を若御子または若宮社としてお祀りしている」と書いてあります。
- 建御名方彦神別命(たけみなかたひこがみわけのみこと)
- 伊豆早雄命(いづはやをのみこと)
- 妻科比賣命(つましなひめのみこと)
- 池生神(いけのおのかみ)
- 須波若彦神(すわわかひこのかみ)
- 片倉辺命(かたくらべのみこと)
- 蓼科神(たてしなのかみ)
- 八杵命(やさねのみこと)
- 内県神(うちあがたのかみ)
- 外県神(そとあがたのかみ)
- 大県神(おほあがたのかみ)
- 意岐萩命(おきはぎのみこと)
- 妻岐萩命(つまぎはぎのみこと)
皇大神宮社(こうだいじんぐうしゃ)(末社)
御存じ、伊勢神宮の御祭神です。豊受大神宮も含まれるようです。
下社は明治以降の政策が色濃く影響しているのが感じられますね。
- 天照大神(あまてらすおおかみ)
- 豊受大神(とようけのおおかみ)
諏訪大社秋宮境内のその他見どころ
日本の国歌で有名な石ですね。
先日のお伊勢参りでも、二見輿玉神社や猿田彦神社にもありました。
さざれ(小石)が巌(いわお)となって、されに苔が生すまでの過程が、非常に長い年月を表す比喩になっているとか。
先に行くか、後にするか。「秋宮恵比寿社」参拝はお忘れなく!
『諏訪大社4社巡り1日で御朱印5授かる』。
4社巡りで5つですから、諏訪大社以外でも授からなくてはなりません。
そこが下社秋宮の敷地に鎮座する『秋宮恵比寿社』となります。
鎮座する場所は社務所近くの駐車場を挟んだ反対側です。小高い丘になっていますので、少し歩きにくいですが参拝を行うことをおすすめします。
御朱印は下社秋宮と同じ社務所で授かれます。
秋宮恵比寿社
大国主命は別名「大黒様」です。その子供の事代主神は「恵比寿様」と云われています。
- 大国主命(おおくにぬしのみこと)
- 事代主大神(ことしろぬしのおおかみ)
諏訪大社秋宮は上社とは違う神社と感じる?「わたしだけ」でしょうか?
諏訪大社下社は春宮、秋宮共に神楽殿に出雲大社同様の「大しめ縄(大注連縄)」があります。
これは、主祭神の「建御名方神 (たけみなかたのかみ)」が大国主命の子供であり、同じ国津神であるが故のしきたりなのでしょうか?
観光目的の参拝では、このしめ縄(注連縄)が目を引き、とても素晴らしい見どころです。
しかし、上社(特に前宮)参拝を行うことで、諏訪大社の上社と下社は違うのでは?と感じる人は少なくはないでしょう。
過去には上社と下社の対立という歴史もあり、これは武力衝突にもなっています。
日本の統治に成功をした政権が人格神を祀ったことが下社の歴史で、出雲大社の流れをくむ色彩が色濃く残り、農耕民族と階級社会への変遷が伺えるのは気のせいではないでしょう。
何らかの理由で日本神話の神を主祭神に祀ることは、神社の歴史上仕方の無いことです。
でも、せっかく何かの縁で訪れ参拝するのであれば、その場所に御鎮座された本当の云われを知ることも旅の醍醐味ではないでしょうか?
諏訪大社4社巡りは、神道の歴史という大きな流れを凝縮しながら感じられる小さな旅と言って過言ではありません。
諏訪大社『下社秋宮』の駐車場
『ナビ設定』おすすめの行先(徒歩5分以内の無料駐車場)
諏訪大社『下社秋宮』の御朱印を授かる前の基本情報
諏訪大社秋宮の御祭神
御霊代(依り代)が2月と8月に両社間を遷座する(秋宮=8月~1月)。
- 建御名方神 (たけみなかたのかみ)
- 八坂刀売神 (やさかとめのかみ) - 主祭神
- 八重事代主神 (やえことしろぬしのかみ) - 合祀
建御名方神の兄神。国譲りの際にはすぐ服従したとされる。
1.建御名方神 (たけみなかたのかみ)
軍神でありながら諏訪の地で山、水、風の自然を司る神となる
【父】出雲で国造りを行った『大国主命(おおくにぬしのみこと)』
【母】『沼河比売(ぬなかわひめ)』と伝えられる
【兄】下社に合祀される『事代主神(ことしろぬしのかみ)』
【妻】前宮の主祭神の『八坂刀売神(やさかとめのかみ)』
神話の世界で一般的なのは、天孫降臨の時に天津神の『建御雷神(たけみかづち)』と相撲を取り、負かされたために諏訪の地へ逃げて来たというお話です。
恐らく、後々の政権が出雲の悪口も合わせ、都合の良い方向へ話を持って行きたかったのでしょう。
御神徳
武運長久、交通安全、国土安寧、五穀豊穣、盛業繁栄、狩猟守護、子孫繁栄
2.八坂刀売神 (やさかとめのかみ)
建御名方神の妻であるが神話には登場しない謎の女神
神話には登場せず、どのような女神であるかは不明。
諏訪湖の『御神渡り』は、上社に鎮座する建御名方神が下社に鎮座する八坂刀売神の元へ訪れる際に出来たものと伝えられています。
上社前宮の主祭神も『八坂刀売神』ですけどね、わざわざ下社へ行くのですね?
実は一般的には、上社には建御名方神 (たけみなかたのかみ)、下社には八坂刀売神 (やさかとめのかみ)が鎮座しているとも云えられています。
また、両神は婚姻関係にあったのではなく、建御名方神 (たけみなかたのかみ)が諏訪の地を創る際に、創り方を教えたのが、その時既に神様であった八坂刀売神 (やさかとめのかみ)とも。
御神徳
五穀豊穣、夫婦和合、子授かり、縁結び
3.八重事代主神 (やえことしろぬしのかみ)
国津神でありながら皇室(天津神)と深い係わを持つ神
建御名方神 (たけみなかたのかみ)の兄で、同じく出雲で国造りを行った『大国主命(おおくにぬしのみこと)』が父。
しかし、母は違って神屋楯比売命(かむやたてひめのみこと)。
事代主神は神武天皇の后の父親とされており、皇室(天津神)と深い係わりを持つ。
一方で、七福神で有名な『恵比寿様』という見方もあり、秋宮にある「秋宮恵比寿社」はその流れで鎮座したのかもしれませんね。
御神徳
諏訪大社下社では合祀されていますが、別の神社ではとても有名な神様。それ故、御神徳はとても多いのです。
商売繁盛、開運、厄除け、福徳円満、病気平癒、海上安全、大漁満足、学業、歌舞音曲
諏訪大社下社秋宮の歴史
6世紀末から7世紀初頭
伊那郡から諏訪や埴科、水内へ進出した金刺氏が創建したものと考えられています。
金刺氏の祖の墓と想定されている青塚古墳は下社秋宮の近辺に位置しているため、秋宮は自ずから祖先祭祀の場で、砥川のほとりにある下社春宮は、水霊を祀る祭場だったと思われる。
要するに、諏訪湖の北に拠点を構えた金刺氏はその王墓を祀り(秋宮)、砥川の自然信仰(春宮)を取り込み、諏訪下社となる社壇を作り上げたと考えられるのです。1470年(文明12年)
上社と下社の対立激化。その後甲斐の国武田氏により平定。
これにより武田氏の占領を許すわけです。
諏訪大社『下社秋宮』の御朱印
諏訪大社秋宮の御朱印が授かれる場所
- 鳥居を過ぎ階段を上った右手の社務所で授かれます(初穂料500円)。駐車場の鳥居横
- 『秋宮恵比寿社』の御朱印も「※参拝を行っていれば」こちらで授かれます(初穂料500円)
- 人が多い日は参拝前に預けて、帰りに受け取る方が良いです(諏訪大社は全社、引換券を発行していますので安心です)
- ※わたしが御朱印を授かる際に「参拝されましたか?」と尋ねられました
- 本殿横の社務所
- 9時00分から17時前後(都合により時間等変更になる場合もあります)
秋宮恵比寿社の御朱印
- 諏訪大社『下社秋宮』の御朱印と同じ(参拝を行ってから)
- 9時00分から17時前後(都合により時間等変更になる場合もあります)
初穂料
- 各々500円(下社秋宮、秋宮恵比寿社)
次は「上社前宮」へ!
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ルート
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ルート
諏訪大社上社前宮への移動距離は車だと大した負担ではないでしょう。
途中、500m間に5の酒蔵がある甲州街道(国道20号線)では、どこかに立ち寄って、家に帰ってからの晩酌はいかがでしょうか?
安全運転で!