白血病になった有名人のその後|完治した人とお亡くなりになった人

白血病4 家庭の医学

白血病になった有名人はその後どうなったのでしょうか?

 

完治した人、惜しくもお亡くなりになった人。改めてまとめてみました。

 

白血病が完治した有名人

白血病に罹患したけど、無事完治した4名の有名人をピックアップしました。

皆さん、今では何事もなかったようにお仕事続けられています。そのお姿を見ると、は「白血病」は決して不治の病なんかでは無いことが良く分かります

 

渡辺謙(わたなべ けん)さん

(フォト:K Dash Group)

病名:急性骨髄性白血病

 

1984年『瀬戸内少年野球団』で映画デビュー。

1987年 視聴率39.7%という大河ドラマ史上最高の平均視聴率を獲得した、「独眼竜政宗」で主役の伊達政宗役を演じる。これによりスターダムにのし上がる。

 

1989年に映画初主演作となる(はずであった)「天と地と」で主役の上杉謙信役に抜擢されていたが、撮影中に急性骨髄性白血病を発症し降板、約1年の闘病生活を送り無事復帰した。

1994年(5年後)に再発。再び1年の闘病生活を送り、現在に至っている。

 

再発を乗り越えての現在。再発の恐怖はやはり付きまとうのですね。

 

吉井怜(よしい れい)さん

吉井怜(フォト:日本タレント名鑑)

病名:急性骨髄性白血病

 

1996年 テレビ東京の情報番組『IT’sアクセス』でTVデビューを飾る。

1998年 テレビ東京の特撮番組『仮面天使ロゼッタ』のヒロイン・神あすか役で、初主演を果たしす。

1999年 「優香」「堀越のり」「唐沢美帆」と音楽ユニットNITROとして活動(1か月の期間限定)。

2000年、奄美大島でのグラビア・カレンダーの撮影時に急性骨髄性白血病を発症。奇しくも池江璃花子選手と同じ18歳のときであった。

治療は抗がん剤治療を実施。その後「寛解維持療法」を選択したが、翌年、母親からの骨髄提供を受け骨髄移植をおこなった。

 

彼女は抗がん剤治療を実施したことで、酷い副作用に見舞われたそうです。結局は骨髄移植を行うことになりましたが、現在お元気なのは移植のお陰であることは間違いありません。

 

浅野史郎(あさの しろう)さん

写真なし。

 

病名:成人T細胞白血病(後に急性へ転化)

 

1970年  東京大学法学部卒業後、厚生省(当時)入省

1993年  宮城県知事選に当選

2009年  成人T細胞白血病のため療養を開始

最近はテレビのコメンテーターとしてよくお顔を見ます。

白血病が分かったのは、2005年に献血を行ったことで、その時にウイルス(HTLV-1)に感染していることが判明しました。感染経路は母子感染が有力。
当初は、『くすぶり型』の診断により経過観察とされたが、2009年に悪性度の高い急性型に転化し治療を開始した。完治を目指し、骨髄バンクドナーより骨髄を移植、同年10月『ミニ移植』も受ける。

 

聞きなれた「骨髄性」ではなく「ウィルス性」の白血病です。発症することは少なく、ほとんどがキャリアに終わることが多い病気ですが、感染経路は主に母子感染(母乳)、血液、体液です。発病してしまったため、骨髄移植を行うまでに至っていますが、現在は元気にご活躍で安心しました。

 

早川史哉(はやかわ ふみや)さん

写真なし。

 

病名:急性白血病(骨髄かリンパかは不明)

 

2012年 筑波大学に進学。

2016年 J1開幕節・湘南戦にアルビレックス新潟より先発フル出場デビュー

同年、リンパ腫の腫れから急性白血病と診断される。

その後闘病生活に入り、同年11月に骨髄移植手術を行った。2017年から寛解に向けた治療に専念するため新潟との選手契約を一旦凍結。
そして、2年4ヶ月ぶりの2018年8月にトップチームの練習に合流!

10月には練習試合に出場。11月に契約の凍結を解除したのです。

 

スポーツ選手が、しかも激しく動き回るサッカー選手に返り咲くまで回復することは、何よりも白血病患者の励みになります。このまま良い成績を残すことを期待します。

 

惜しくもお亡くなりになった方々

白血病に罹患し、闘病の甲斐なく惜しくも亡くなられた方を2名だけピックアップしました。

このお二人を思い出す度に、白血病というのは美しいものに容赦なく噛みつく悪魔なんだと感じてしまいます。

 

夏目雅子さん

夏目雅子の画像 p1_6(フォト:夏目雅子ひまわり基金)

病名:急性骨髄性白血病

 

若い人は知らないかもしれません。1957年生まれなので、もしご存命なら60歳を超えています。

彼女の美しさが話題となったのは、1978年に放送された「西遊記」での「三蔵法師」役です。三蔵法師というのはお坊さんで、彼女は坊主の役を行っていましたが、その姿が逆に美貌を際立てて当時とても話題になりました。

実際に頭を沿って演じたその役が「頭の形が良く、美しくて神々しい」と美貌が話題となったのです。

もともと、カネボウ化粧品のキャンペーンガールも務め、スタイルも抜群でした。

 

そんな夏目雅子さんが白血病に罹患したのは、27歳の時「1985年」です。

  • 2月14日 舞台公演の最中、極度の体調不良を訴える
  • 2月15日 慶應義塾大学病院に緊急入院。急性骨髄性白血病と診断
  • 約7ヶ月に渡る闘病生活を送り順調に回復
  • 8月下旬 肺炎を併発。高熱が続く
  • 9月8日 熱が一時的に引く
  • 9月9日 再び高熱を発して、意識不明の重体に陥る
  • 9月11日 午前10時16分、逝去。享年27歳

 

抗がん剤の副作用で髪の毛は抜け落ち、一時副作用の弱い抗がん剤を使用したことで亡くなったのでは?と悔やんだ母親によって、同じような闘病生活を送るがん患者のために、無料でかつらを貸し出す組織『夏目雅子ひまわり基金』が1993年12月に設立された。

 

当時のことを知る人たちにとっては、伝説の女優です。今でも彼女の美貌は話題となり、時折テレビで元気な頃の映像が流れることは嬉しい限りです。

恐らく、今後も忘れ去られることなく、永遠に語り継がれる女優だと思います。

 

本田美奈子さん

(フォト:本田美奈子オフシャルサイト)

病名:急性骨髄性白血病

 

奇しくも夏目雅子さんがお亡くなりになった、1985年アイドル歌手としてデビュー。

同期は、森川美穂・中山美穂・南野陽子・森口博子・斉藤由貴・大西結花・橋本美加子・芳本美代子・井森美幸・浅香唯、石野陽子・松本典子・おニャン子クラブなど早々たるメンバーでした。

そして翌年1986年には、今でもよく映像の流れる「1986年のマリリン」を発売。へそを露出させた衣装や激しく腰を振る振り付けなどが、当時のアイドル歌手らしからぬ内容で話題となり、大ヒットしたのです。

その後、歌手活動に留まらず、1990年にはミュージカル「ミス・サイゴン」のオーディションを受け、約1万5000人の中からヒロインのキム役に選ばれました。そして1992年から一年半のロングランをこなし、その歌唱力、演技力を高く評価され、1992年度第30回ゴールデン・アロー賞演劇新人賞を受賞しまいした。

勢いは止まらず、ミュージカルと歌手活動を平行して行っていくのです。

 

しかし、2004年より体調の異変を感じ始め、2005年に白血病と診断されます。

 

  • 1月12日、急性骨髄性白血病と診断を受けて緊急入院
  • 1月13日 事実の公表
  • その後、2度に渡る化学療法を受けるも、寛解には至らず
  • 5月、臍帯血移植を受ける
  • 7月末 一時退院したが再発
  • 9月8日 再入院し、輸入新薬による抗癌剤治療を開始
  • 10月 一時退院
  • 10月末 再入院。その後肺への合併症から容態が急変
  • 11月6日 午前4時38分、逝去。享年38歳

 

急性骨髄性白血病の中でも極めてまれな予後不良の治療抵抗性の白血病であったことで、骨髄バンクドナーが見つかるまでの猶予すらない病状であったそうです。

 

アイドル全盛時代であった当時、わたしは彼女にあまり興味がありませんでした。しかし、ミュージカルでの評価などアイドルらしからぬ活動については沢山聞き及んでいます。それだけ実力があったという証拠でしょう。

 

今、改めて彼女の歌声を聞くと、その意味が分かります。

更に、未だにオフィシャルサイトとファンクラブが存在するなんて、なんて素晴らしいことでしょう!(ファンクラブはメンバー募集も行っています)。

本田美奈子オフィシャルサイト

 

最悪のことも考えられる白血病ですが、きちんと病魔を乗り越えて、今でも現役で活躍している方々は大勢います。現在この病気と闘っている人たちは「完治」する前提で戦って欲しいです。

 

最後まで読んで頂きありがとうございました。